人々はみな、ノートにどのようなことを書いているのだろうか。
長月に誂えたとっときのノート。
このとっときのノートに、遂に何かを書き始めようと思ったものの「それはそれは特別に、大切に使いたい」という気持ちがむくむく膨らみ、なかなか書き出せない。
世の中には素敵にノートを使う人たちが多くいるだろうから、まず私はまねぶことから始めるがいい。今は便利な時代だ、是非とも参考にさせていただこうとSNSで色々と検索をした。
ところが検索結果に表示されるのは素敵なノートのお顔ばかり。私が知りたいのはその中身だというのに。
しかし、よくよく考えてみれば当然であろう。気軽にSNSに載せられるようなことではないからこそ、とっときのノートに綴るはずである。
私にはすでに、ふとした時にメモをする持ち歩き用ノート、色鉛筆で絵日記を書くためのノート、黒い気持ちのはけ口となるファンシーな表紙のノートと、既に多様な使い道のノートがある。
はて。これ以上私は何か書けるのか。そもそもこのノートたちですら、実のところは大分持て余しているというのに。
そうしてまた、唯一自分で誂えたとっときのノートを、お顔を眺めただけで机に戻すのであった。
ところで、ノートを書こうと奮起するタイミングでは必ず、日記アプリやこういったブログへの意欲も高まる。
日記アプリとブログと、これもまた人々はどのように使い分けるのだろうか。私はどう使い分けたいのか。
日記アプリだけで良いような気がするのに、何故だかブログを書いてみたくなる。
此度は、書きたいと思うなら好きに書けば良かろうとまるっと書いてみた。
きっとまた、書きたくなったら好きに書く。